2009年06月15日

Hamelen

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【ハーメルンの笛吹き男】SAI/Bamboo
見てのとおりのパロディーです。ドイツの地名で、笛吹き男まで入れると"De rattenvanger van Hamelen" になるんだそうな。つづりがわからなかったので、いろいろ適当に入れて検索していたところ"Hermelin (独:ヘルメリン)"というのが、テン(イタチの仲間)だそう。テンもイタチやオコジョと同じように、びっくりすると物音の方向を凝視して固まるみたいですな。Googleで検索したら、えらいカワイイ写真が連発して出てきてとってもオススメです。
イラストに戻って、実は最初は横向きに書いたものの、やっぱり縦長にしたかったので構図を変更。ペン入れをしたところでハタと気が付いた。前回のblogの2枚の絵とまったく同じ構図ではないですか。ということもあって、左右だけ反転しました。とはいえ、構図は一緒なんです。
ちなみに横向きで描いたのがこちら。
rakugaki252s.jpg
ラフに色を塗りました。

●彫刻とイラスト描き。
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先週末に骨董市を2つはしごしました。変なものがたくさん売っていて、買わずとも満足な小旅行でしたね。
こんなの。
http://portal.nifty.com/2009/06/11/a/
500円の象は、千葉に同じようなものが売っています。
誰がそんなものを買うねんよ?というものはたくさんあれど、そのなかでも、形がしっかりしていて買わなさそうなものが彫刻です。他人の家に行って、彫刻ってあります?有っても音楽家の胸像くらいでしょう?
買わないのはさておき、彫刻を見ていて面白いのが、そのポーズにあります。突っ立ちの彫像も有ることはあるのですが(上野の西郷どんなど)、多くはなんだか無理なポーズをとっていると思いませんか?実はそれ、イラストも同じ。1枚のイラストで何かを表現しようと思うと、どうしても前後のストーリーを繋ぐ動きが欲しくなってしまって、変なポーズをとらせがち。漫画のコマ内では突っ立ちや真横が多くても、扉だけはいろんなポーズや凝った構図が多いのも同じです。
話は少し飛びますが、小中学校のとき、「物語の絵」を描かされましたが、大人になってから描こうとすると難しいですよね。前後のストーリーを繋げるために、なんだか無理のある絵になると思いますよ。

●エコじゃないドライブ。
世の中エコじゃエコじゃ、猫じゃ猫じゃと騒がしい昨今ですが、ちょいと疑問を感じることもある。
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この腕時計は、1996年ごろに購入したもので、売りは「SOLAR(太陽電池)」です。フル充電で一週間くらいだったかな?買った当初は充電なんて全く気にならないくらいに動いておりました。デザインは、ケースは結構気に入っていましたが、太陽電池というところにしか注目していませんでしたので、文字盤の色やフォントは三の次くらいのイマイチさですね。
時は流れて2000年ごろ、ふと気が付いてみれば、数日に1度は窓際に半日ほど置いてやらないと止まるようになった。さらに4年。2004年ごろに症状は悪化。この手の安物時計にありがちな油切れで、「着けないと止まる」ように。充電は丸1日日向において、1日動くかな?という程度。
それが、このたびいくら充電をしても、1時間も動かなくなってしまいました。もう寿命…。
満足に動いたのはたったの3〜4年。使い物になったのは5〜6年。7〜8年目は重症。9年目以降は瀕死といったところでしょうか。
1996年ごろに買った別の腕時計は、電池さえ換えてやれば満足に動きますし、アラームなどをつけなければ、10年も電池が持ちました。今使っている一番古い腕時計は、1982年くらいのもの。

ここで捨てちゃあ、ぜんぜんエコじゃない。
それじゃあもったいないので、、油切れはおいておいて、充電地を換えてやろうではありませんか。
IMG_0455.JPG
裏蓋オープン。
MT621という電池は見えますが、金具がプラスチックピンを潰して固定されています。おそらく、修理に出しても無理な使い捨ての構造でしょう。世の中の90年代のソーラー時計も、そろそろ寿命が来ちゃってんじゃないでしょうか。もしも電池が換えられたとしても、普通の電池式クオーツのほうが相当「エコ」ですよね。

腕時計は安物ばかりですが、ちょっと変ったものをいくつか持っています。
http://kenichiuji.exblog.jp/
こんなblogみたいなことは出来ませんけど、少しずつ紹介していきたい。


●研究よはく。第6回。

「足利事件にひとこと言わせてもらいたい」
最近話題になった足利事件にひとこと。事件の詳細は、ワタシがわざわざ語る必要はないでしょう。DNA鑑定で殺人罪で有罪になった被告が、これまたDNA鑑定で無罪となったという話。この事件に関するニュースに、非常に違和感を感じていた。

それがこういうもの。
「足利事件から学ぶこと」江川昭子氏(弁護士)
最先端の技術であっても、それを使うのが人間である限り、間違いはありうる、ということを、今回の事件から私たちは、よくよく学び取る必要がある。
 特に、刑事裁判の世界では、まもなく裁判員制度での裁判が実際に始まろうとしている。裁判では、DNA鑑定に限らず、様々なジャンルの専門家が、最新の技術を駆使した鑑定結果を説明する。それぞれの道で、それなりの権威を持っている人が出てくることも多く、自分の学説や技術には確信を持っているので、自信たっぷりに説明をするだろう。

後半には異論はない。しかし、前半はまったく賛同できない。
「間違いがありうる」のは何にかかっているのかわからないところはあるのだけれど、あたかも「科学や技術は、誤りを提示することがある」と主張されているように感じる。さまざまなニュースでもそう感じた。

今回の事件の(検査にまつわる)問題はいくつかあり、

1. DNA鑑定できるほどの証拠は、そもそも存在し無かった。
2. 当時、鑑定関係の予算を付けたいがために、むりやりDNA鑑定という技術を使用することにした。
3. なぜかわからないが、どこからか犯人および被疑者の精液を入手し、鑑定に用いた。
4. 方法は明らかにせず、まだ精度の低かったDNA鑑定を証拠に採用した。
5. 検査は(恐らく)1度しか行わなかった。
6. 容疑が固まるか固まらないかの段階で、証拠品を焼却処分した。
7. 数年たって、DNAの検査体制に進歩があっても、一切追試をしなかった(指摘しなかった)。

こうやって並べると、科学や技術が糾弾されるべきなのは4.の部分である。しかし、これについては以前に述べたとおり、科学や技術における手段というものは、仮説に合わせて選ばれるものであるという点から、仕方が無いといえなくはない。また、7.の部分を指摘されるニュース解説者も多かった。そして「検査に携わった人を召喚して、尋問するべきだ」という意見も。そういう現場への責任の押し付けは、いろんな分野で散見されますが、ゾッとしませんね。

ところで、この7点のうち、科学と言って良いかも知れないのは、4.5.7の3点だけだ。あとは科学の世界で言うところの「捏造」「証拠隠滅」「サンプルすり替え」の類であり、科捜研だの科警研だのが聞いて呆れる。科学者の風上にも置けないレベルの話である。
残った3つは、はたして科学といって良いのであろうか?

科学の成果発表の基本として、「再現性」「客観性」が問われる。4.で手段のために方法が選ばれたのは目をつぶるとして、1回だけの実験(検査)で「再現がある」と言えるのだろうか。また、多くの科学者の成果発表には、査読というプロセスで、客観性が問われるわけだが、今回のように、警察によって警察の有罪にしたいがために行われ、最終的にも警察が判断するようなプロセスで、どうやって客観性が証明できようか。どこかに外部の目や手を入れない限り、客観的に信用できる結果が得られるとは思えない。

○結論。
・足利事件のDNA検査に関して最も大きな問題は、人道的なレベルの話であって、科学技術の話ではない。
・科捜研、科警研は、今の体制を続けるなら「科学」と言う名前を削除していただきたい。
・信頼できる"科学的な検査"を行いたいなら、完全に外部に委託すべきだ。
posted by tikuo (ちくお) at 00:52| Comment(0) | TrackBack(1) | blog | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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